耳(へあん)著「骨董」
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この本について
HEARN(ラフカディオ・ハーン)、 Kotto、 パリ、メルクール・ド・フランス、1912年、in-12、256頁、並装、傷みあり(背割れ、美しい装丁に値する)。「Shin-Chomon-Shu」「Hyaku Monogatari」「Uji Jui Monogatari」などの古典から採られた物語を収録。その後、「女の日記」「蛍」「餓鬼」「夜の心」などの近作が続く。 経歴 ラフカディオ・ハーンとして知られることとなる二番目の名前、Patrick Lafcadio Hearnは、ギリシャのイオニア諸島に属するレフカダ島(Λευκάδα)に由来する。 青年期 アイルランド人の父(イギリス軍の軍医)とギリシャ人の母の間に生まれたPatrick Lafcadio Hearnは、両親の死後、ダブリンで叔母に育てられる。16歳の時に同級生との事故で片目を失明。このため、当時の肖像写真では頭部の片側が写らないようにしていた。家族に拒絶された彼は、ロンドン、次いでパリへと移る。 アメリカにて 19歳でアメリカに渡り、ニューヨーク、シンシナティに滞在。ジャーナリストとして活動し、日本大使との交流を通じて日本文化に触れる。 1874年、当時混血婚が違法であったにもかかわらず、料理人であったAlthéa「Mattie」Foleyと秘密裏に結婚。この事実が発覚すると、勤務先の新聞「Enquirer」を解雇され、ライバル紙「Cincinnati Commercial」に移籍。 1877年、シンシナティを離れ、ルイジアナ州ニューオーリンズへ。現地のクレオール文化に傾倒し、1885年にクレオールのことわざ辞典「Gombo Zhèbes」とクレオール料理集「La Cuisine créole」を発表。 マルティニークにて 1889年、ハーンが勤務していた「Harper’s Monthly」の特派員として西インド諸島に派遣され、マルティニークのサンピエールに2年間滞在。「幽霊の国」と称したこの島で「Youma」を発表。現地の伝統的な民話に強い関心を持ち、多数を採集し、「Trois fois bel conte…」や「Contes créoles II」など複数の著作を発表。 日本にて 日本の友人である大使の招きにより、1890年にハーンは横浜に上陸。英字新聞のジャーナリストとして勤務。日本にて、侍の娘小泉節子と出会い結婚。1896年に日本国籍を取得し、小泉八雲と名乗る。 ハーンは日本と日本文化に関する著作を執筆。特に日本の幽霊譚(妖怪)に強い関心を示す。大旅行家でもあり、神戸、松江、東京と転居を重ね、東京大学の英文学教授に就任。また、富士山の登頂も果たす。 1904年、東京にて心臓発作により死去。仏式で埋葬される。東京大学英文学教授の後任には夏目漱石が就いた。 このほか、ハーンはアメリカに柔道を紹介した人物であり、当時大統領であった友人セオドア・ルーズベルトに対し、講道館の山下義韶をアメリカに招くよう説得した。この来日はアメリカにおける柔道ブームのきっかけとなった。また、ピエール・ロティを敬愛し、モーパッサン、テオフィル・ゴーティエ、フロベール、メリメ、ユゴー、ゾラ、ネルヴァル、アナトール・フランスなどのフランス文学を英語に翻訳した。 出典:ウィキペディア
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