商品説明
Le Banquet
パリ、リブレリー・ルケット(3月、5月、6月、7月、11月1892年)、ブリケ(2月、3月1893年)刊。
全7冊、大型8折(28×18cm)、表紙に傷みあり、わずかな汚れあり。第2号(1892年4月)欠。同号は既に1958年のフェルナン・グレーグ著『我がマルセル・プルーストとの友情』28頁にて行方不明と記載されている。
プラトンに敬意を表して命名された本誌は、1892年にプルーストとコンドルセ高等学校の同窓生、ジャック・ビゼ、フェルナン・グレーグ(編集長)、ロベール・ドレフュス、ルイ・ド・ラ・サール、ダニエル・アレヴィ、オラス・フィナリらによって創刊。彼らはパリ9区ショワズール通路のリブレリー・ルケットの2階で集会を開いた。各執筆者による月額10フランの出資で運営され、第1号は400部、以降は200部刷られた。
しかし、8号をもって翌年、おそらく経済的理由により廃刊(ロベール・ドレフュス談:「8号の後、我々の雑誌は理由を告げることなく姿を消した。金庫は空っぽで、我々は十分に遊び終えたのだ…」。)。廃刊後、創刊メンバーは既に名高いナタンソン兄弟の Revue Blanche(1891年10月-1903年1月)に合流した。
プルーストがロベール・ドレフュスに宛てた手紙にあるように、本誌の目的は「我々の作品を発表する」ことであった。実際、プルーストの最初のテクストは本誌に掲載された。研究論文、書評、エッセイが1-3号、5-7号に掲載され、7号には処女短編「ヴィオランテあるいは社交界」が掲載された(後に『快楽と日々』に収録)。「Le Banquet には、後の『失われた時を求めて』の萌芽が見られる。その萌芽が将来の大樹と異なって見えるのは当然だが…。そこには、ヘルデモネという名の高級娼婦の姿でアヤマン夫人、より繊細な優雅さで知性を表すシュトラウス夫人、鳥の女神の姿でシュヴィニエ夫人が登場する…」(G. ペインター著『マルセル・プルースト』第1巻、161頁)。
プルーストのテクスト詳細:
「研究。ファブリスの情婦たち」『Le Banquet』第2号、1892年4月、41頁。
「研究。シダリーズ」『Le Banquet』第2号、1892年4月、42-43頁。
「研究。或る夫人を描写した草稿」『Le Banquet』第3号、1892年5月、78頁。
「研究。海」『Le Banquet』第6号、1892年11月、170-171頁。
「雑録:アンリ・ド・レニエ作「夢のごとく」」『Le Banquet』第6号、1892年11月、171-172頁。
「研究II。或る夫人の肖像」『Le Banquet』第6号、1892年11月、191頁。
「ヴィオランテあるいは社交界:短編」『Le Banquet』第7号、1893年2月、201-208頁。
ロベール・ドレフュスの回想によれば、「国家の不信仰」(第3号、1892年5月、署名「ロランス」)もプルーストの作品とされる。
参考文献:J. デギュイ「雑誌Le Banquetの研究」『プルースト研究情報 Bulletin d'informations proustiennes』第4号、1976年、29-43頁。- ウィキペディア - ル・ムンスエル再発見、ジェローム・プリウール編、レ・ビュスクラ社、2012年



















